木は鉄を凌駕する。千年の時間を想う、現代文化に対する西岡棟梁の静かなる反論。
早朝5時、勤行が始まる。時の鐘と共に暗闇の中に浮かび上がる薬師寺金堂、読経の声が静寂に包まれた白鳳伽藍に静かに響き渡る。薬師寺は、1300年の間休まずに世の安泰を願い、人々を苦しみの海から救い出すために祈り続けてきた。西岡が手掛けた白鳳伽藍復興とは、まさにこの「祈り」に繋がる。1990年5月、薬師寺木工作業場、若い大工の作業をじっと見守る西岡常一棟梁。そこは一切の妥協が許されない修練の場である。
西岡は祖父常吉棟梁の教えを受け、大工になる前、「土を知る」ために生駒農学校に不承不承入学させられる。遠回りに思える農作業には、『法隆寺宮大工「口伝」』に伝わる伽藍建築の全ての神髄が含まれていることを知る。自然は土を育み、土は木を育てる、その教えの深淵さに身震いすることになる。土を知ることから始まり、何故「法隆寺の鬼」と称せられるようになったのか、そこにあるのは伝統を守ることだけではなく、現代文明に抗いながらも「いのちを繋いでゆく」ことの尊さが、仏教建築の全ての原点であることを自らが悟ることでもあった。
復興工事のさなか、危惧していた日本での用材調達が困難となり、樹齢千年以上の檜を求めて台湾に行くことになる。同時に日本の国土の65%を占める森林の、一つの寺さえ作ることできないほどの荒廃した姿、自然に寄り添うことを忘れた私たちの日常が露わになってくる。千年生きる建物とは、千年生きる檜が必要であり、その上で木のいのちを繋いでゆく技術が必要だと西岡は言う。木は鉄を凌駕する。これは建築のみならず安きに流れる日本文化や思想に対する西岡の反論である。
そして『法隆寺「口伝」』に伝わる棟梁の覚悟を物語る「百論を一に統るの器量なきは謹み惧れて匠長の座を去れ」を聞くとき、その秘められた決意の深さに多くの人たちが自らを問い直し、震撼することだろう。私たちは何を失い、いま何をしなければならないか、西岡は法隆寺「口伝」の中から静かに伝えようとしている。